<Covid19>
ホームページを改訂するにあたり久しぶりにブログを書いている。
令和2年のGW、今は新型コロナ(SARS-Cov2)による自粛のまっただ中である。このコロナにより我々が慣れ親しんできた生活は大きく変わらざるをえなくなった。そしてnew normalを受け入れることになる。Vivienne R. Reich氏がコロナウィルスの視点で書いた「コロナウィルスから人類への手紙」と題された詩はもの静かに我々に語りかけてくる。確かに人類はあまりにも傲りたかぶっていたのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=-bD_2rDmjVc
今回のパンデミックにおいてもメディアの思慮に欠ける報道姿勢、そして国家的危機における非責任政党の無責任政党ぶりは目に余るものがある。マスクの供給不足に不安を抱く人々にトイレットペーパーは国産で十分な供給がありますとアナウンスしながら量販店で空になったトイレットペーパーの棚の映像を流すことの影響がまだ分からないのだろうか。一刻の猶予もない状況において原則論を振りかざし大同小異の小異で大同の本質を肯定しようとしない不毛な議論、国を代表する者としてあまりにも品性のない一部女性議員の糾問姿勢はこの危機状況で建設的とはとうてい思えない。
同じコロナウィルスであるSARS-Cov1、MARS流行による警告に対し戦略的CDC創設までの考えが及ばなかった付けがいま回ってきている。Cov2は外界での活動性の長さおそらくエアゾール内での活性維持と症状が出ない潜伏期からすでに感染力があることから想定外の感染拡大をもたらしている。現時点でこのウィルスに対する特異的な治療法はなく治癒は自己の抗体産生に依存している。病院でやっていることはウィルス感染の治療ではなく自力で酸素化ができなくなった重症者に呼吸管理を行うことで抗体が出来て感染を克服するまでの時間を稼ぐ対症療法である。感染者全員を医療機関に収容するという非現実的な法規にしばられていた当初やみくもに検査を実施したら軽症例でベッドが埋まりこうした重症者への対応や通常診療が出来なくなり医療崩壊を来すことは諸外国のからの情報で容易に想像ができた。日本独自ともいえる検査対象を濃厚な容疑者に絞ったクラスター潰しは理にかなった対応であり結果としてもハードエンドポイントである死亡者数からみて十分な成果を上げたと判断される。実際の医療に携わっている者の多くはそれを肌で感じとっていたが、政府発表そして連日メディアで顔を見かける専門家からはそのメッセージは伝わらず検査件数の少なさを強調する論調が一人歩きした。やがて感染経路を追えない陽性者が増えクラスター潰しでは対応できなくなり全国的な感染拡大を抑制するため疫学的手法の導入が必要となった。基本再生産数(R0)<1を達成するために接触8割減を目指す緊急事態宣言という自粛要請である。諸外国と違い何の罰則規定もない要請でそれが達成できるか危ぶまれたが、スマホのGPSを活用した疫学調査という画期的な手法による解析ではこのGWにおいてかなりの達成率である。パンデミックの危機感とはかけ離れた議論が錯綜する中でそれに振り回されることなく理性ある行動をとる日本国民はさすがだと思う。まだまだ収束に向けて先が見えないCovid19であるが経済的観点からも克服に向けて可及的速やかな治療薬の導入が望まれる。とくに日本発のアビガンについては厚労省あるいは関連学会主導で無症状から軽症例を対象にした全国規模のRCTを大至急進め中途解析で有意差が出た時点で速やかに認可に進んで欲しい。また、大阪大学などで開発が進むDNA系ワクチンについても学際的な協力体制を国として推し進め認可までのプロセスが短縮できる方策を前向きに模索して欲しい。合わせ急激な転帰をたどる呼吸不全はサイトカインストーム(CRS)が関与していると思われるがARDS治療の困難さを知る者としてそれに対応する組織的な医療体制の補強、そして系統だった試験的治療薬の検証を急ぐ必要があると考える。また、このパンデミックを押さえ込んだ後には時系列の各タイミングで専門家集団がどう判断し、政治家がどう発信し、メディアがどう報道したかをしっかり検証して国民に詳らかにすることが必要でそれが危機状況における社会的基盤の成熟にむけた第一歩となる。さらに、科学的な行動が担保され強制力を持った指示系統を有する実効性のある日本版のCDC設立が必須である。
このパンデミックがもたらすnew normalは発展という名のもとで当然のごとく突き進んできた人類の地球規模でのあり方を反省することでもある。国家のそして社会の根源的なスタンスが変わるというのは難しいことである。しかしそれはひとりひとりが一旦立ち止まって、地球からの声に耳を傾け、現実をしっかり直視し、そして自らの考えをはっきり声に出すことから始まるのである。
今がその時である。
令和2年5月 GW