<平成24年、年始に思うこと>
小さい頃から、4で割りきれる数字には何となく安心感を覚える。
今年はその4で割りきれる年にあたり、オリンピックの年である。水泳の北島 康介や女子ソフトボールチームの活躍が記憶に新しいあの北京オリンピックからすでに4年に近い時が経とうとしている。
最近、月日の過ぎ去るのが本当に早く感じられる。子供の頃、朝起きてから晩ご飯を食べて布団にくるまるまでの時間は、今よりもっともっと長かった。だから、1週間は遙かに長く、1ヶ月は気の遠くなるほど長く、1年は永遠に近い長さであった。あの頃、持て余すほどあふれていた時間が、今はちょっと油断するとあっという間に1年という単位でその時間が消え去っていく。相当意識を集中させて注意していないと、何の進歩もないまま日々のルーチンが繰り返され、加速度的に時が浪費されていくことをまったく知覚しない。
それで今年は、時間について真剣に意識していこうと思っている。
幸い、病院にいた頃より少しは時間を自由にコントロール出来るようになった。だが、自転車操業的に時間に追われることを習性としてきた身にとって、ふと生じた空白の時間を前にすると惑いを感じてしまい、それを自分の好みに彩色することが思ったより難しいことであることを思い知った。今年は、これまでのように何かをしなくてはと自分を追い立てることは止めにして、力を抜いて無駄も肯定するつもりでいろいろな時間の使い方をじっくり味わおうと思っている。矛盾するようであるが、疎遠になりがちであった得るところの多い高いレベルの研究会にも積極的に顔を出そうと思っている。それは、これまでのような義務感からではなく、自分の目指すところから醸し出るある種の好奇心を満足させるためである。
当院が開院して、早いものでもう2年半になろうとしている。個人クリニックでありながら自己完結的に循環器診断を行い、検証に基づくきめ細かい予防治療の実践を掲げてのデビューであったが、現実の診療がこれほどに頭の中で描いていた通り遂行できていることを密かに誇りに思っている。冠動脈CT造影も年間約600例のペースが続いている。プランの段階で参考に出来るようなクリニックはなく、やりたいこと、すべきことにおいて妥協を排しての模索であった。スーパーマシンである冠動脈造影仕様MDCTの導入は、もっとも非現実的と評されたものだが自分の中では欠くことの出来ない中核機器であり、その導入を迷ったことは一度もない。生化学データや心電図などの生理検査結果とCT、超音波検査、そして病院から提供された冠動脈造影などの画像データをクリニックレベルの電カルでシームレスにリンクさせるのは、先進的で手探りでの構築であった。こうしたシステムが実現出来たのは、センスの光る設計士さん、無償で交渉を担当してくれたタフなネゴシエーター、病院時代から気心の知れた業者さんたちなど、多くの得がたい人材の英知と助けがあってのことと今更ながらに感謝している。そして、各々の職務でそのシステムを完全に使いこなすことの出来る有能なスタッフに恵まれたことも特筆すべき幸運であった。こんなにいい感じでやってこられたのは、こうしたスタッフの独自の努力に依るところが極めて大きいことは明白である。いろいろと手を広げていくと、本質が薄らいでいく。質を維持するためには、量の制限は止むを得ないことだと思っている。当院はあくまでも、循環器の専門クリニックである。いま改めてその視点を再確認して、自分らがやるべきことをしっかり見つめ、プロとしてその質をさらに深めていくことに努力を傾けたい。
ところで、当院では開院時より医療クラークによるリアルタイムでの診療録入力を実践してきた。これは、目指していた患者さんの顔を見ての診療を実践するうえでは必須のジョブであった。今年はそのジョブを完璧にこなしている有能なクラークさんが産休に入るという試練が待ち構えており、新年早々から少々緊張している次第である。
どこかに、医療事務に秀でていてブラインドタッチが出来、性格が明るく元気で、もちろん協調性があり、そして出来れば体育会系の医療クラークさん・・・はいないだろうか。
平成24年1月