<ワクチンギャップ>
昨年のゴールデンウィーク、初回緊急事態宣言下の巣ごもりでブログを更新してからすでに1年以上が経過した。今はオリンピック開催を目前として世の中がざわめいている時である。気の利いた話題を書きたいが医療人としては専門外だがコロナに言及しないわけにはいかない。
あれからのコロナ禍は我が国における深刻な“不都合”を鮮烈にあぶり出した。期待していた国産アビガンなどは有効性が示されず結局のところSARS-Cov2に対する特異的に有効な治療はいまだ出ていない。しかし、決定的な救いはトランプさんの功績で極めて短い期間でワクチンが開発されたことである。このワクチンでは我が国は3つの視点で遅れをとった。第一に国産ワクチンの開発である。前回ブログ時は世界的に見てほぼ横並びで開発が進められていた国産DNAワクチンへの政府の強力なサポートが期待された。しかし、現実はこの未曾有の緊急事態においても柔軟に対応できない硬直した管轄省庁の壁に妨げられ国産ワクチンは未だ日の目を見ることが出来ない。迅速な国産ワクチン開発の重要性を理解するなら政治主導で行うべきことはいくつかあったように思う。医学的にリードすべき専門家会議や関連学会は緊急事態宣言など対症療法への言及に終始し国産ワクチン開発という根治治療に向けた強い提言は聞かれなかった。また国民の命を守るため先頭に立ってすべての責任を負うというスタンスでリードする先見性と政治的度量を持った政治家も現れず欧米の後塵を拝することになった。第二はワクチン確保である。ファイザー社やモデルナ社のワクチンが有効と確認されたなら次に行うべきは十分量のワクチンを確保する国際的政治駆け引きである。“コロナに打ち勝った証し”としてオリンピックを開催するつもりなら海外からゲストを受け入れるホスト国として開催までには相応数の国民がワクチン接種を終えているという流れになると普通に考えていた。しかし、海外でワクチン接種が加速化する中我が国のワクチン確保と接種は遅々として進まず、4月になって一国のリーダーが直接製薬メーカーのトップに必要数の迅速な確保をお願いする有様であった。ワクチン確保に向けた政府上層部のある意味個人的な努力は認めるがもっと早い時期からより戦略的な交渉は出来なかったのだろうか。第三はワクチンの接種ミッションである。ワクチンの管理運営のため時間をかけて開発されたはずの厚労省のV-SYSは使い勝手が悪いばかりでなく個人の接種情報を迅速に把握できないという致命的な機能不全があった。それを補うため内閣官房IT室が異例の早さで開発したというVRSはクラウド化を実現し行政のデジタル化を実感させるべきものだった。しかし蓋を開けてみれば入力において絶望的な難があり個人接種のリアリタイムな管理を担うにはあまりにも程遠い代物であった。現場は接種業務だけでも大変なのにその記録のため何倍もの時間と労力が費やされ疲弊している。これを書いている7月の段階では十分量が確保されているはずのワクチンは“どこかに”偏在してしまい有疾患を対象とする個別接種の医療現場には想定されたワクチン量が供給されない事態になった。前向きに協力してきた現場は梯子を外され予約のキャンセルをお願いする有様である。シリンジ規格といった些細なことから自治体や接種現場は朝令暮改のワクチン行政に振り回されて徒労感を強く感じている。
このパンデミックは我が国のDXの致命的な遅れを白日の下にさらした。我が国は明白にデジタル後進国である。国民のほとんどが日常生活においてスマホなどのデジタルデバイスを活用しインターネットとつながっている。それにも関わらず有事においてそれが全く有効活用できていない。コロナ接触確認アプリであるCOCOAの信じがたい不祥事はまさに象徴的である。迅速な対応が必要な休業支援金、雇用調整助成金、各種補助金などの給付申請においても役所の煩雑な紙ベースでの運用が相も変わらず繰り返されている。その書類印刷、入力作業、郵送、審査などで費やされる人的・時間的無駄は計り知れない税金の浪費である。マイナンバーに基づいた納税情報などを活用すればこうした事は迅速かつ公平に実施できるはずである。もう35年近く前米国に一時滞在した際に最初にしなければならなかった事は同国の社会保障番号SSN(social security number)を取得することであった。これがないと銀行口座も開けず日常の生活を始めることが出来なかった。しかし、一旦取得したのちはあらゆる手続きが機能的に連携された。有事の際にこういうことが国力の絶対的な差として顕在化する。9月1日に発足するデジタル庁はこの国の今後のあり方に対し重大な責務を負っている。全ての省庁を横断した情報管理の統括的デジタルシステムを構築しそれを地方行政と完全に連携させることが急務である。これまでとは比較にならない規模のデータを扱う堅強なシステムを創設しそれを完璧なsecurityで運用することは国家安全保障上も最優先の課題である。デジタル庁には我が国の最高の英知を集め、十分な予算を割り当て、そして強い権限を持たせてそれを実現させなければならない。
世界はパンデミックのまっただ中にあり国民の生命と生活が脅かされている。この現実に対する危機感を時間の流れの中で鈍化させてはならない。近い周りにコロナで命を落とした者がいるという事実、コロナを発症した者が一様にいうインフルエンザとは次元の違う重症感、入院しても面会も許されず、臨終にも立ち会えない理不尽さ、そして感染を克服した後も残る深刻な心身の後遺症、コロナは本当に危険な感染症である。日々繰り返し報道される新規感染者数の無機質な数字はそれが意味する本来の深刻さを希薄化する。メディアはコロナ感染経験者の声、そして医療現場の実態をもっと掘り下げ繰り返し伝えるべきである。このパンデミックに対する唯一有効な対抗手段がワクチン接種であることは科学的に明白である。集団免疫が獲得されずパンデミックを抑え込むことが出来なければコロナのあの無数のスパイクのいずれかがまた変化し次に現れる変異株が感染性のみならず強い毒性を持って人類に比較にならない脅威をもたらす可能性は現実である。SNSではとんでもない非科学的な情報が氾濫している。情報を科学的に検証・批判する能力のない者がSNSからの流言飛語を信じ込んでワクチン接種を頑なに拒む例がみられる。宗教的・感情的に信じ込んでしまった者に論理的な説得を試みても受け入れられることは難しい。ただ、そうした極端な例はあくまでも限局した少数である。それとは比較にならない影響力を持つメディアの報道姿勢によって感覚的な拒否感を懐いている者は決して少なくない。ワクチン接種後の抗体産生に伴う生理的な反応や因果関係が確認されない極めて少数のワクチン接種後の偶発的死亡例を“副反応” として恐怖感を煽るワイドショー的報道があとを絶たない。過去のワクチン報道で現実化した科学に基づかない報道により国民の生命が失われるという事実についてメディアには自責の念がないのだろうか。ワクチン接種の意義を科学的見地に立って公衆衛生の視点から副反応のリスクを踏まえてもワクチン接種が必要であることを理性的に説く報道姿勢が望まれる。見方を変えれば政府から信頼に足る情報が適切にかつ分かりやすく提供されていないというリスクコミュニケーションの欠如がある。今回の経験からも米国CDCのように最新のデータと知見を集約し信頼できる情報をリアルタイムに発信して世論を科学的にリードする独立した組織が必要であるという考えをさらに強くする。確かにワクチン接種を受けるか否かは個人の選択である。しかし、それは公衆衛生の観点から今後ワクチン接種証明をもって入場や活動が認可されるという対応も受け入れることが必要となる。それは嫌煙権と同じラインにある健康を守るための区別(distinction)であって差別(discrimination)ではない。
このパンデミックは我々に社会的距離(social distance)を保つことを強いた。それは個人と社会、組織と政府、国家と世界、そして人間と自然の関係を冷静に見つめ直す機会となった。そこから見えてきた“不都合”を克服することこそがコロナ後にむけて我々が本気で取り組まなくてはならないことである。今まで目を背けてきた“不都合”をそれぞれの英知で乗り越えることができるか今試されている。
令和3年7月